不動心を目指す前にハタヨーガで健康な肉体をつくりましょう
ニスパンダチッタ=不動心
わりと日本人が好きな言葉かと思います。
不動心を目指す方が多い現代、
不動心を目指して様々な瞑想法や呼吸法に取り組まれる方もいるのではないでしょうか。
いろいろとアレンジされた瞑想法や呼吸法、巷には溢れ流行っています。
流行りを体験することも良い経験です。けれどやはり、流行りは長く続きません。今回はヨーガの観点から不動心について本質に戻ったお話しをします。
実は、精神にウェイトを置くことほど人間にとって難しいことはありません。
心というのは、安定しないから「心」です。
心というのは色々な心理的条件で動きますし、人間関係のストレスでも動く、身体そのものの不調からも動く、いろんな形で動いてしまいます。そういうものです。
社会生活を健康に送っていく上で、心をより安定させたいと思ったらならば、その前に身体を安定させなければ私たち肉体を持った人間は心の安定を手に入れることはできないわけです。
基本的なことですが、
ヨーガと呼ぶものは大きく分けて2種類です。
・瞑想法だけ行う→ヨーガ
・身体を動かし、呼吸法瞑想法を行う→ハタヨーガ
どちらもヨーガですが、軸足の置き方が肉体なのか?精神なのか?で全く異なります。
前者は精神に軸足を置いており、社会生活をしていくことを考えていません。
瞑想とは肉体を否定する行為ですから、社会で生きていくことも、もちろん身体の健康なども視野にいれていません。社会から切り離して生きていく、そもそもダーナ(布施)で生きていく方々が「精神を際立たせる為には肉体は邪魔だから消していく!」くらいの思いで生涯かけて行うものだそうです。瞑想は肉体を否定する行為であるのに、現代では違った目的に置き変えられ、さらにはアレンジされて行われているわけです。
現代社会で生きていく人間が精神安定の為とか、能力アップの為と一生懸命行っても、効果が一時的であったり迷走してしまうのは当然なのかもしれません。
後者は肉体を肯定的に捉えたインド文化でも珍しい考え方。ハタヨーガはタントリズムの影響を受けていると言われています。最終的に目指す境地は、前者と同様の「三昧」ですが、肉体に軸足が置かれており、社会生活を生きていくことや健康体ということも視野にいれてつくられています。
ハタヨーガがなぜにこれほどまで身体を動かすのかといえば、三昧を目指すほどの精神を安定させるには、深い呼吸がとれる必要があり、深い呼吸がとれるようになるにはそれ相応の自ら作り上げた肉体が必要という発想でつくられてきたものです。事実、人体の道理に沿っています。肉体を肯定的に捉え、より安定した精神と健康な身体で社会生活を送ることほど豊かな人生はないのではないでしょうか。
不動心を目指したい方を含め、ハタヨーガは社会生活を健康に健全に送りたいと思う全ての方に行っていただきたい健康法です。