観世音菩薩と観自在菩薩とヨガ

* 色と呼吸とヨガで ありのままで美しく、耀く女性を応援!

 埼玉県さいたま市大宮区のヨガサロン caapashanti(チャーパシャンティ)    Kaori  です *

 

梅の花も散り始め、早いところでは桜が開花をしているようです。

春分の日前後には、桜の見頃を迎える地域もあるかもしれませんね^ – ^

楽しみです。

 

先日ヨガをしていて、なぜだか(確かインドについて話していて、、)

観自在菩薩と観世音菩薩についての話題になりましたので

よくある話ではありますが、書いてみたいと思います。

 

 

日本では一般的に『観音さま』と呼んでいる仏様ですが

『観世音菩薩』を指します。

同時に、般若心経にもあるように

『観自在菩薩』も同じ観音さまを指します。

 

 

これは、訳された方によって違った意味を持つため

どちらが正しいということもなく、どちらも共に深い意味を含んだ観音さまの名称です。

 

 

まず、「観自在菩薩』。

サンスクリット語で『アヴァローキテーシュヴァラ』

アヴァローキタ=観

イーシュヴァラ=自在

サンスクリット語の複合語です。

 

『自由自在にものを観る力がある』

 

という意味になります。

これは唐の時代に、三蔵法師玄奘がインドから般若心経を持ち帰った際

「観音さまは悟りに至る最高の智慧をもって、全てが空であることに基づき森羅万象を自由自在に観じられた」

という意を汲んで

『観自在菩薩』と訳したそうです。

 

 

次いで『観世音菩薩』。

サンスクリット語で『アヴァローキタスバラ』

スバラ=雑音。

直訳すると

「全ての雑音を観る菩薩」となり、

 

『人間界というのは様々であり、各々が勝手に大騒ぎをしている。その全ての声を観ることのできる菩薩』

 

という意味になります。

こちらは、法華経を美しく訳したことでも有名なお坊さん、鳩摩羅什が観音経を訳した際

『この世の多くの人が苦しみの中にある。救いを求めて一心に祈るとき、観音様はその全ての声(音)を観じ

救ってくださる』

と説かれたことから

『観世音菩薩』と訳したそうです。

 

 

「観音」は大悲を

「観自在」は智慧を

強調して訳出したと言われていますが、

 

サンスクリット語の

『アヴァローキタ=観られた』という受け身の言葉は、

観られることは観ることでもあり

観自在菩薩は多くの人から観られつつ

多くの人を観じて、救う働きが自在である、、

とも言われています。

 

観世音菩薩も観自在菩薩も

どちらも『観ずる(心で見聞きする)』ことで人々を救う菩薩であることは同じですね。

 

私たちひとりひとりの中にも、菩薩心があります。

 

他者との関わりの中から起こる出来事のたびに

自身の心を観ずることで、携えている苦しみを

自ら少しずつ手放してゆく、、

自由自在に自分自身を救う、、

 

そんな観自在菩薩のような、観世音菩薩のような力が

全ての人にあるのだと私は観じます。

 

ハタヨガは、呼吸と肉体の動きを通して

「観じる力」を養えるツールでもあります。

 

暖かくなってきました。

始まりの季節。

ぜひハタヨガで、新年度をスタートしてみてはいかがでしょうか^ – ^