慈悲と祈りと希望が世界を変える

* 色と呼吸とヨガで ありのままで美しく、耀く女性を応援!

 埼玉県さいたま市大宮区のヨガサロン caapashanti(チャーパシャンティ)    Kaori  です *

 

 

ふと、昨日の終戦の日に『慈悲』について感じたことがありました。

私の個人的な視点と価値観になりますが、書き留めておきたいと思います。

 

『慈悲』・・・最近は『慈悲』や『慈愛』などの言葉を多く耳にするようになりました。

ヨガの世界に触れるようになると、それらの言葉を見聞きする機会は増えるのですが、

近年ヨガブームが定着をしてきたり

人々の精神世界への興味関心が昔に比べて高くなっていることも影響をしているかもしれません。

マインドフルネスなどの瞑想の流行も関係しているように思います。

 

『慈悲』とは仏教用語ですが、意味だけを掻い摘むと「情け・哀れみ」です。

菩薩が衆生を哀れみ苦を除き楽を与えようとする心のこととされています。

 

では、よく『慈悲の心で、、』などと言われることがありますが

慈悲の心って一体どんな心の状態なのでしょうか。

 

 

慈悲の心

 

私の思う「慈悲の心」というのは、いつもポジティブにあろうとしていたり幸福について意識を向けようとしている状態の時には生まれないものだと感じます。

 

com=ともに

passion=苦しむ、受難

 

という意味があります。

 

『ともに苦しみを味わう』

 

これが慈悲のあり方。

 

しかし、ただ「ともに苦しみを味わおう」としても感じることができないものです。

 

まずは自分が『苦しい』と感じるような痛み伴う経験をする。

すると他者の痛みを伴う経験を自分の痛みのように理解できるようになり、

『ともに苦しみを味わう』=慈悲の心が生まれてくるのだと感じます。

 

誰もに存在する慈悲の心

 

慈悲の心を感じるには『自分が苦しいと感じる経験をする』と書きましたが

そう聞くと何やら大変な苦労をしなければ慈悲の心は生まれないのか、、と感じてしまうかもしれません。

 

私は全くそんなことはないと思います。

この世に生きているだけで、何かしら必ず人は『痛みを伴うと感じる経験』をしているものです。

ある意味それを経験するために人間になっているので。。

それを『苦労』や『痛み』と捉えるか『成長の糧』と捉えるかの違いなだけで、

そこに優劣もなければ、大小もない。

単純に自分が起きた出来事をどう捉えているかだけのことと感じます。

人によって痛みや苦労の大きさの『差』なんてありません。感じ方に差はあるにせよ、

感じた痛みの種類の違いだけなのかもしれません。

 

結果、誰もに『慈悲の心』があります。

 

 

慈悲の力の必要性

 

人の心がその人らしい心の状態に辿り着くまでには

『慈悲』が絶対的に必要だと私は感じています。

特に今の世の中には、、。

 

苦しみや痛みというシコリを心に留めたままの人の心は

まず慈悲の心で寄り添うことが必要と思います。

 

例えば『慈悲の必要性』に関して子供というのはとても良いお手本を見せてくれることが多くあります。

子供ってちょっとしたことで涙を流します。

言葉がまだ話せない子は特にですよね。何故泣いているのかすらわからない時もあります。

でも、そんな子の心に慈悲の心で寄り添う、、

『そっかそっか、今は辛いんだよね、涙がいっぱい出るね、、』とただただその子の心の苦しみに寄り添い一緒にその辛さに浸る、、=慈悲

これをしてあげるだけで、時間はかかるかもしれませんが次第に落ち着いてくるものです。

もう少し大きな子になると、涙の後には冷静すら取り戻し自分の苦しみという感情に隠れた『自分はどうしたかったのか?どうありたかったのか?」ということに辿り着く子すらいます。

自分の『どうしたいか、どうありたいか、という本質』がわかると、その後の意識の向け方や行動の仕方も周りの価値観に揺れることなく自分らしさを大切にできる。

苦しみや悲しみというエネルギーを力に変えて人は動けるものでもあるので、苦しみや悲しみを感じる経験も必要です。

そのためにはまず『慈悲の心』で人の心に寄り添うことはとても重要なことと感じます。

 

 

慈悲とはシンプルであること

 

慈悲とは、とてもシンプルなことであると感じます。

先に子供の例で書いたように、

苦しみのある人の心に寄り添い、どうにかしようとせず、ひたすらその苦しみの中へ身を投じて一緒に苦しみ痛みに浸る。。。

それだけで良いものなのだと私は思います。

 

人はどうしても、目の前で苦しんでいる人がいれば『どうにかしてあげよう』という意識が働きやすいものですが

どうにかできるのは本人以外の誰でもなく

その痛み苦しみはその人の魂の学びでもあります。

人の魂の学びを奪ってはいけない、、、。

だからこそ『慈悲』という心のあり様が存在するのだと感じます。

 

慈悲の心を日常に。。。

 

子供たちだけでなく、現代の大人たちには特に慈悲の心が必要です。

たくさんの痛み苦しみという感情を心の奥にしまいこみながら生きている人も少なくない様に感じます。

大人になるにつれて、自分の本音や本質を見失いやすくなる。

他者や環境による価値観や物差しで起こる出来事を捉えるようになるからかもしれません。

それは決して良くないことではなく、自然な流れ。

慈悲の心で自分自身と向きあい、一つ一つの価値観や物差しを精査し、本当の自分の価値観を見つめ直し成長するステップのために必要であった流れと思います。

慈悲の心で自己や他者と向きあう事を日常に取り入れることは、これからの時代を生きてゆく私たちの大きな救いになると感じます。

 

 

慈悲と祈りと希望が世界を変える

 

日々それぞれの人生において様々なことが起こります。

良いと感じることもあれば、苦しみや辛いと感じることもあります。

より多くの人々が心から平安に過ごすことのできる世界に向けて

今こそ慈悲の心と祈りと希望のバランスが重要になってくるのだと感じます。

 

 

今日でお盆もおしまいですね。

お盆の正式名称は『盂蘭盆会(ウラボンエ)』。

サンスクリット語の『ウランバナ』に漢字を当てはめた言葉です。

 

ウランバナ=地獄の苦しみから救う

 

私たちが日常を慈悲と祈りと希望の心で精一杯全うすることが

全ての魂のウランバナにつながりますように。。

 

shanti。。。

 

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